Chamber pot

若造のメモ

Hellotalkにみる日本人の完璧主義


Hellotalkとは
世界中の人たちが利用可能で、自分が学習したい言語を母国語とする人々と交流できるシステムになっている。具体的には、タイムラインに投稿した文章に対してネイティブが文章校正・コメントができる。
実際に、その日の出来事や思ったことをツイッターのように投稿してみると、瞬く間に外国人からコメントやいいねが返ってくるので、承認欲求を手軽に満たしながら、ネイティブとの交流を図ることができる。
自分のタイムラインには、母国語を共有する方の投稿は反映されないため、片言の日本語や英語の投稿だけが流れる。ところが、日本語学習者に対するコメント・文章校正は、同じ日本人からも閲覧することができる。


この、「日本人による外国人の文章校正」に、日本人ならではの完璧主義的な形質が表れていてとても面白く感じた。
・非常に細かいところまで指摘する
・感想より指摘に傾倒しがち
・挙句の果てに日本人同士が校正の妥当性を巡ってコメント欄で喧嘩している

日本語はドメスティックな側面が強い言語であり、片言の日本語を話すひとが国内に少ないから、こういった傾向が表れるのだともとらえられる。

そしてこの完璧主義的な傾向が、自身の英語学習にまで悪影響を及ぼしていると思う。
「正しい使い方か確信が持てないから表現できない」とか。本来の言語の目的に則れば、伝わればとりあえずいいのである。

Done is better than perfect.

Facebookザッカーバーグが言ったとか言ってないとか言われる名言である。
英語学習のときはこれを座右の銘として、とにかく量をこなすことを念頭にがんばりたい。

再開、そして就職活動の終わり

しばらく日記を書いていなかった。相変わらず習慣が長続きしないポンコツである。

 

過去の投稿を見ると、なんだか夏のインターンのことについてつらつらと言及しているだけで、その後のめまぐるしく変化した私の心情、思考がまったく記録できてない。とても残念に思う。思い出せるだけでもこれまでの思考の変化の過程をメモする。

 

<11〜12月>

よく覚えていない。輸送機器系のメーカー1社だけ冬季インターンに応募したのを記憶している。その頃の私は、夏インターンでほぼすべての会社から合格をもらっていたので、多少天狗になっていた。そのため、志望度は高いが自分の専攻とは異なる募集をしている部署に自信マンマンでエントリーしたところ、見事に書類で落とされた。かなり気合いを入れて推敲したため、悔しく思ったが、ふつうに考えれば当たり前である。哀れである。

 

この頃も、あまり研究に対するモチベーションは高くなかった。何に対して精力的に活動していたのかまったく覚えていない不毛な時期。

 

<1〜2月>

国際学会で発表する機会があり、1週間ほど海外に滞在していた。人生2回目の海外はとても楽しく、刺激的であると同時に、英語力不足と意見陳述力不足を痛感させられた。

この頃から、自分の興味のある方向に研究の方向性をシフトし始めたことで、徐々に研究に対するモチベーションが高まって来ているのを実感するとともに、M1の時期に怠けていたことを後悔していた。さぼったことに対する自責というよりは、もっとやっていれば今もっと面白い研究になっていたな、というような感覚。

 

就活関連では、外コンのセミナーに興味本位で参加したところ、コンサルの考え方(論理的思考・MECE的な分析・目的の明確化とか)が面白く感じ、志望しようと思い始めていた。

また、平行してメーカーの説明会にも参加していた。このあたりの時期から、徐々に志望企業を絞り始めていた。また、夏季インターンに参加した企業の早期選考も始まって来ていた。また、一時期考えていたドクター進学のことはいつのまにか頭から離れていた。

 

<3〜4月>

一気に就職活動が本格化する。業界研究、企業研究ともに他の人よりかなりやっていた自信があったため、学校主催の説明会等は全て行かなかった。就職活動が終わった今でも、この判断はそこまで間違っていなかったと感じている。

この時点で、志望業界はメーカーに限定した。他の業界としてはコンサル業界があったが、結局断念した。その理由は、①現場を知らない人間がコンサルティングをすることに違和感を覚える②もし将来的にコンサルティングに携わりたいのであれば、新卒で事業会社を経験した上でその経験を生かしてコンサル会社に入りたい③そもそも、自社製品を持たないコンサル会社が自分にとってあっているのか疑問に思った、など。

メーカー業界のうち、志望企業としては4つほどあった。インターンに応募した3社と、説明会で出会った1社。軸としては、①業界トップレベル②海外売上比率が高い③仕事の幅の広さ、とか。生意気である。ここから絞るのが非常に大変だった。会社説明会や選考、さらにはビジネス書など、ありとあらゆるものが原因となって、一週間ごとに価値観がめまぐるしく変化していたからだ。結局、インターンに参加し、ある程度選考が進んでいた1社と、説明会で出会った1社の二つまで絞った。
そこから紆余曲折あり、結局説明会で出会った1社に就職することが決まった。紆余曲折についても近いうちに文に起こしたいと思う。

 

<5月〜現在>

進路に悩みに悩んだ4月だったので、5月はかなりリラックスしていた。就職活動というタスクを済ませたことで、それに押し出されてできなかったやりたいことを存分にやることができた。といっても海外旅行などは行かず、時間を研究や読書、英語学習、運動などに多く割いた。また、ロードバイクを買ったことで、趣味がまた増えた。

研究に割く時間が増えるとともに、修士論文作成に向けた研究計画も頭のなかで整理し始めた。このころからかなり研究に対するモチベーションは上がっていった。

 

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ざっと振り返るとこのような感じ。

 

今は非常にリラックスした日常を送ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、修士は今の研究室で取得することを決めた。

アウトプットの練習が圧倒的に足りてないと感じていた意識から始めたブログだったが、めっきり更新が止まっていた。。。(忙しかったのと、めんどくさかったのが原因、反省)

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 ところで、先日、以前配属していた研究室の忘年会があり、そこで懐かしい(?)面々と触れ合うことで色々感じたことがあったのでメモしようと思う。

 内容は博士後期課程についてである。以前から続いていたことなので慣れたが、先生方から博士後期課程にお誘いをいただいた。そこで私が進路に迷っている旨を伝えると、若い助教がいろいろなお話を聞かせてくれた。これについてまとめてみる。

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・人生における選択に迷っているときは、今の自分の本能的な判断に任せたほうがいい。5年先の自分はどうあがいても予測しきれない。どうせ後悔する。

 

助教も、もともと修士卒で就職するつもりではあったが、社会人ドクターの難しさ、融通の効かなさを認識したとき、ドクターを学生として取得することに意義を見出した。

 

・将来、IT技術の発達に伴い、マニュアル化できる仕事が機械に奪われている中で生き残るには、アイデアを生み出す側に居続けなければならない。それは研究職。研究職として食ってくなら、ドクターの称号は重要。

 

・私のように、コンピュータシミュレーションの分野に噛んでいて、さらに材料開発の実験部門も経験している人材は、企業に重宝される。

 

・本学科(材料工学系)においては、ドクターが就職に困ることは少ないので、心配する必要はあまりない。

 

・実際は、ドクターは大変。自分で研究を進めなければならないし、結果が出せなければ卒業できない。また、研究室の運営に携わる中で、中間管理職的な立ち位置に回ることも少なくない。ただ、そういった経験を学生のうちに経験できることはよいこと。

 

・よく悩んだ上で、自分で進路を決定することが大切。

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とても心に響くと同時に、このような尊敬できる人たちの元で3年間学んでいくことは魅力的だと感じた。

 

結論として、現在の計算シミュレーション系の研究室で修士号を取得し、その後もといた研究室に戻り、博士後期課程に進学するという選択肢が一気に濃厚になったということである。

この選択は人生に大きな影響を与えると同時に、家族とも話し合わなければいけない問題である。できるだけ時間をかけて考えていきたい。

 

 

大学院での研究に対するモチベーション

今日は研究に対してまあまあのモチベーションを保ちつつ帰宅した。

大学院に入学し、今の研究室に移籍してからというもの、研究に対するモチベーションが急降下している。こんな状態がもう半年も続くので、自分でも原因がある程度はっきりしてきている。

 

ひとまず今の研究室と学部時代の研究室をまとめると、

<学部時代の研究室>

・バリバリの実験系

・拘束時間としてはブラック研究室の類(夜遅くまで灯は消えない)

・その分野では日本を代表する権威ある教授

・分野としては発展が滞っているが、社会からのニーズは非常に高く、自分の成果によって社会を変えられる可能性をはっきりと認識できた

・分野として成熟しかけているため、学生が持つテーマも結果が出にくいものが多く、苦労することが多い

・体育会系な雰囲気

・研究の進行・研究室の運営ともに、自主性を重んじる雰囲気

・学生の中には、雰囲気に合わず不登校になってしまう人も稀にいた。しかし、体育会系の雰囲気にマッチする学生(私もその一人)は、高いモチベーションと団結力で研究に励むことができた

・自由な就職活動には制限がかかる

などなど。

<大学院時代の研究室>

・計算シミュレーション系(実験は一切なし)

・拘束時間はかなり短い

・教授が女好きであり、愛人同然と化した秘書を学会に連れ回している

助教授陣と教授で意見・方向性が対立することがよくあり、風通しが悪い

・学生は総じて教授に反感を抱いており、研究に対するモチベーションも低い

・研究室全体として、会話が少なく、雰囲気が暗い

・就活に対する自由度はかなり高い

などなど。

 

現時点では、今の研究室に対する不満がかなり溜まっているので、過去の研究室を美化している面もあるだろうが、だいたい上記のような印象を抱いている。これを見ると、なぜこんな環境の研究室に入ってしまったのだという感じなのだが、当時の私は、よく内部の雰囲気を把握していなかったこと、就活が自由に行えることに魅力を感じていたことなどから、このような選択をしてしまったのだ。

 

研究室選択を失敗したことに対して後悔するとともに、モチベーション低下の原因を一方的に環境のせいにしている自分に対しても嫌悪感を抱く。

なんとか修正して無為な2年間にしないようにしなければならない。

 

これまでの就職活動③

夏のインターンシップ3社について。

 

インターンシップの具体的な実施内容については、一応守秘義務的なものがあるので差し控えるが、感じたことをメモしておく。

 

1. 某素材メーカー

同期の学生の皆さんが極めて優秀な方々の集まりだった。大半の学生が、体育会・サークル運営・帰国子女などのいわゆる就活で強いとされる肩書を有していた。社員も活発な人柄のひとが多く、非常に楽しい期間を過ごせた、という印象。

ただ、あまりにも周りの学生が優秀なため、いざ入社した際に埋もれてしまうのではないかという懸念材料も生まれた。

 

2. 某完成車メーカー

わたしの参加したタイミングで同期の学生がいなかったため、志望する学生の雰囲気はわからなかった。研究者気質の社員が多く、(理系として)個性的なキャラクターの人も多かった。寮に宿泊させて頂いたが、かなり古かったことが最も印象に残っている。

配属地は三大都市圏のひとつであったが、建物そのものは郊外にあり、街として寂しい感覚があった。

 

 3. 某プラントエンジニアリング系企業

同期の学生たちは、高専生も多くおり、年齢や大学のレベルもまちまちだった。それ故個性的な人が多く、刺激的で楽しかった。また、勤務地、宿泊地ともに華やかな都市圏であったため、退勤後も非常にリア充チックな生活を送っていた。

ただ、部署によって社員のモチベーションが大きく異なるらしく、リスクの要因となりうると考えていた。

 

夏のインターンシップの感想はこんなところである。まわりの学生がどうとか、勤務地がどうとか、立派なオトナの方々に言わせてみれば"低レベルな"感想と言われそうな内容ではあるが、実際こんなものである。

 業界の異なる3社を受けたわけだが、インターンシップを通じて「ここに決めた!」という確信が得られるとこは残念ながら無かった。というのも、インターンシップでは、企業のいいとこ、わるいとこがある程度判明してしまうことが原因だと思われる。いずれは、どこかの会社にある程度妥協しながら入ることにはなるのだろう。

これまでの就職活動②

今年(修士1年)の夏のインターンシップについて。

 

就職活動を存分に行う気満々で新たな研究室に入った私は、ひとまず就職活動の全体的な流れをネット上で調べた。

すると、昨今の就職活動においてはインターンシップが重要であり、インターンシップに参加することで他のライバルたちに差をつけられるということを知った。そこで、私も夏のインターンシップに向けた準備にとりかかった。

とはいいつつ、自分が果たしてどんな仕事に就きたいのか、将来なにをしたいのか、などを深く分析する前の企業選択であったため、まともな業界研究をしないまま企業を選び、エントリーシートの作成にとりかかった。

 

企業選びは以下のような基準に沿って行なった。

  • メーカーをはじめとした、ものづくりに関わる仕事(工学部であったこと、ものづくりに興味があったこと、メーカー以外の業界をあまり知らなかったことなどから)
  • 名前にブランド力のある大企業(2ちゃんねるの就職偏差値に名を連ねる企業など)
  • 東洋経済オンラインをはじめとしたメディアで、収入・安定性・成長の度合いが高く評価されている企業
  • 首都圏で勤務できる企業

このように、かなり表面的な情報だけで企業を調べた。そうして、以下の企業に対してエントリーシートを送ることにした。

  • 某素材メーカー(財閥系)
  • 某完成車メーカー
  • 某プラントエンジニアリング系企業(財閥系)
  • 某鉄道会社

エントリーシートの志望動機については、後付けで考えたため、建前的な意見を述べることが多かった(もっとも、それを悟られないように書いたつもりではあったが)。志望動機のほかにありがちな質問事項としては、自己PR、学生時代がんばったことなどがあった。これらについては、学部時代活動していた体育会について述べ、テンプレート化することですべてのエントリーシートに利用した。

 

エントリーシート提出後は、いくつかの企業では面接があったが、最終的に某鉄道会社以外の三つの企業からはインターンシップ内定をいただいた。

正直な感想として、ここまで簡単に受かるとは思っていなかったので、かなり嬉しかった。同時に、高い倍率をかいくぐり、ライバルたちに買ったという感覚が、私の承認欲求を満足させるものとなった。

 

夏のインターンシップの内容に関することはまた今度書こうと思う。

 

 

 

これまでの就職活動①

私は今、本格的な就職活動を控える修士1年であり、今後も就職活動について日記を書くことが多くなると考えられる。そこで、ひとまずこれまでに就職活動の一環として意識的に行なったことを書き連ねようと思う。

 

まず、学部4年〜大学院1年の研究室選択について。

 

私の所属している学科では、学部4年のときに全員が研究室に配属され、大学院に進学するときにその半数が学内の別の研究所に配属されるような謎システムが存在する。

学部4年の私は、純粋に自分の興味ある分野を専攻する研究室を志望した。当初の研究室は夜遅くまで電気の消えないいわゆるブラック研究室であった。しかし、厳しくも教育的な教授・スタッフに加え、明るく社交的な同期の学生に恵まれたため、非常に充実した研究生活を送ることができた。

しかしながら、その拘束時間の長さから、研究室に対して不満を持つ学生も少なからず存在した。就職活動中の修士2年の先輩がその一人だった。先輩は、研究室の忙しさに加えて、教授陣からのプレッシャーの強さから、インターンをはじめとした就職活動が十分にできないといつも愚痴をこぼしていた。それを聞いていた私は、この研究室では自分の臨むままのキャリア形成ができないと思い込み(実際にはそうとは限らないのだが)、修士で別の研究室に移籍することを決心した。

そして修士では、ある程度就職活動が自由にできそうな(時間に余裕がありそうな)研究室に配属され、研究ならびに就職活動を現在まで行なっている。

 

夏のインターンシップについてまた書く。